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解説:深川の富岡八幡宮で行なう成田山新勝寺の出開帳を出迎える情景である。 開帳は、寺社の秘宝を特別に扉を開いて公開し、信者との結縁を強めるための信仰行事であるが、江戸時代には秘宝を見に集まる人出を利用して、寺社が募金を目的にした開帳が増加した。そのため、寺社の所在地で行なう居開帳よりも、他の土地で開く出開帳の方が多く企画され、特に人口の多い江戸に出てくる出開帳の数は圧倒的であった。秘宝を見に集る人びとは、信仰心よりも珍しいものに接したいという好奇心と、これを口実にした行楽が主流であった。主催者側も観客も、一つのイベントとして開帳を扱っていたといえる。 そのように、信仰行事であるよりも募金事業としての色彩が濃くなっていたが、募金目的を達成するには多くの人出(参詣人)が必要であり、集客のための宣伝には寺社が抱える信仰者集団(講)が動員された。本図のなかにも「日信講」「元講」「浅草十講」などの幡がみえている。これらの在京の信者集団が、出迎えと称して、江戸の入口付近まで出向いて、そこから大挙して出開帳を催す寺社まで送り届ける行列が続いた。このような出迎えは、江戸時代の後期から始っていたようで、江戸町触には、開帳の出迎えに、大勢が幟幡や楽器をもって大騒ぎすることを禁止した法令が、くり返し発令されている。明治18年の本図の情景が、江戸時代の出迎えと同じ規模であったかは確認しようがないが、開帳の前宣伝をあおるための出迎え行列の雰囲気を伝えるものといえよう。(原島)
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