日本実業史博物館準備室旧蔵資料
37TA
01.絵画/05.交通・通信
01.絵画
05.交通・通信
浅草金竜山広小路馬車人力車往来之図
明治4
1871
絵師:国輝II 落款: 本名等: 版元:木屋板  馬喰四 
技法:錦絵 法量:357×715
数量:3続 
37TA/00432
00636
解説:浅草寺門前の広小路で馬車と人力車が賑わっている様子。今日一般に広小路といえば上野だが、もともと広小路とは江戸時代に防火帯として作られた幅の広い道のことで、市中各所にあった。浅草寺門前の仲店通りと交差する道が本図に描かれた広小路である。 馬車は西洋人によってもたらされ、外国人居留地では幕末から使用されていた。乗合馬車も1870(明治3)年から東京-横浜間で営業を始めたが、本図に描かれているのは外国人所有の自家用馬車とみられる。 人力車は明治初期の重要な発明品で、1870(明治3)年、和泉要助という人物が製造の許可を得たのが始まりという。ひとたび世に出るや瞬く間にひろがり、街にあふれただけでなく、外国にも輸出されたほどであった。本図の注目すべき点は、実にさまざまなタイプの人力車が描かれていることである。人力車は大きく分けると、駕籠に車を付けたタイプと、椅子に車を付けたタイプの2種類がある。発想の順序として、初期には従来の交通機関である駕籠の形を模倣したものが多かったようだが、やがて椅子に折り畳み式の幌を付けたものに駆逐される。明治5、6年以降はほとんどこの椅子型になる。本図には両方が描かれているが、どちらかといえば椅子に幌を着けたタイプが前面に大きく描かれ、駕籠のようなタイプは奥に小さく描かれている。ここから当時のはやり具合が想像できよう。右端には和風の椅子に屋根を付けた変形のものも見られ興味深い。また、道の両側には「人力車」の旗や暖簾を垂らした店が見える。開化絵では、人力車が見えない絵を探すのが難しいほどだが、店が描かれているのは比較的珍しい。(田島)
史料群概要
画像有