日本実業史博物館準備室旧蔵資料
37TA
01.絵画/07.産業
01.絵画
07.産業
明治十五年五月廿三日 市川右団次東京新富座江乗込之図
明治15
1882
絵師:年雪 落款: 本名等:一松斎年雪 版元:福田熊治郎  日本橋区長谷川町十九番地
技法:錦絵 法量:361×718
数量:3続 
37TA/00456
00663
解説:乗込みというのは、芸人が新しく登場する土地で、開演日の前に地元への披露のため一定の区間を通ること。通過手段としては、徒歩のほか乗物を使ったり、時には水上を船で行く場合もある。 本図は、大坂で活躍していた市川右団次が、東京の新富座の興行に出演した際の乗込み風景を扱っている。右団次は以前に東京で出演したことがあるから、再上になるが、それでもこうした乗込みで前景気を計ったのであろう。しかし、実情をみると、同年3月15日に右団次の自宅が失火により近隣約90戸を焼失し、原因は同居の男衆の不始末であったが、蟄居して舞台の出演を停止していた。(『歌舞伎年表』)恐らくこのために東京へ避難してきたと察しられる。右団次は市川小団次の実子で、1863(文久3)年に右団次に改名、1909(明治42)年に斎入と改名し1916(大正5)年3月19日没で74歳であった(『歌舞伎辞典』)。舞踊に堪能であったといい、本図の興行(6月11日初日)でも、舞踊劇『望月』を演じている。ただし、この時の興行は入場料が高値であったことなどで不評を買い、翌月半ばで中止となっている。なお、当時の演劇界の仕組みは今日とは違うので、右団次が出演した舞台は新富座だが、彼が参加した座組みは猿若座であった。要するに、猿若座が新富座を借りて興行したのである。″座″には小屋(建物)の意味と、劇団の意味と二様あって、両者が一体化しているときはよいが、この場合のように別々になるとややわかりにくい。(原島) (採寸情報)中央と左の版は絵がつながらないが、すきまなく合わせた寸法を表記した。右・中央は361×477mm、左は359×241mm。(青木睦)
史料群概要
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