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解説:日本橋駿河町の越後屋(三越)と三井組の洋風建築を描く。17世紀末からこの地で呉服店を営む越後屋は、1872(明治5)年、店章を井桁に三の字から丸に越の字に変更している。建物は黒漆のいわゆる土蔵造りで、店内は江戸時代以来の伝統的な呉服店の形式となっている。 三井組の洋館は、海運橋の建物が第一国立銀行に譲り渡される事が決まったのち、改めて設計され、1874(明治7)年に完成した。設計・施工は海運橋の建物同様、清水喜助だが、全体に和風の要素は抑えられ、建物の形自体はオーソドックスなものとなった。ただ屋根の上に1匹のしゃちほこが載る点が特異であった。1872(明治5)年に湯島の聖堂で開催された初の国家的博覧会において、出品物中最大の目玉が、名古屋城の金のシャチホコであったことは、よく知られている。商業施設にシャチホコを載せるという奇異な発想の背景にはこの展覧会の影響があろう。そしてこの建物が三井家の威信をかけてのものであることがうかがわれよう。 繁栄する呉服店、威容を誇る洋風建築。そこに大きく富士山を配し、しかもシャチが富士と面と向き合う構図になっていて、三井家の威信が強調される。これが単に東京名所として描かれているのではないことは、正面に見えるはずの皇居を赤い雲で隠してしまっていることからも窺い得る。ここに皇居を書き加えてしまうことは、″三井曼荼羅″とでも呼ぶべき本図のねらいが薄まってしまいかねないのである。(田島)
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