日本実業史博物館準備室旧蔵資料
37TA
01.絵画/03.経済・金融
01.絵画
03.経済・金融
そのころの兜街
昭和8年
1933
絵師: 落款: 本名等: 版元:   
技法: 法量:
数量:1巻 
37TA/00477(rep02)
00686
解説:巻頭にある「註」によれば、東京株式取引所が1933(昭和8)年の秋に″営業継続″となった折に、創業から1907(明治40)年ころまでの市場周辺の情景を清水柳太氏に依頼して作成したという。1931(昭和6)年に満州事変前後から取引所をとりまく状況は厳しくなっていたが、″営業継続″の具体的な経過までは確認していない。ともかくも、創業から約半世紀を過ぎて、旧態を知る人も少なくなってきた時に、その一端を絵に残しておこうと考えたのは当然といえよう。 兜町といえば、今では証券取引の中心的存在であるが、江戸時代のこの辺一体は武家地であった。それが1871(明治4)年に新政府の用地となり、南茅場町と坂本町に隣接したものを改めて兜町と命名した。地名の由来は、近くにある兜塚または甲山の旧蹟に基くという。この地で新時代を象徴したのは1873(同6)年に創設された第一国立銀行であったが、それよりも早く開業した米商会社が、1878(同11)年に移転した跡地に開設したのが東京株式取引所であった。図は、その年6月1日の営業開始に始まり、当時の帳場係の執務風景を描き、立会の仕方や職員の服装などを短く解説している。以下、「註」では1907年ころまでという依頼であったが、それよりも少し手前の1900(明治33)年ぐらいまでを主に描いている。例えば、客廻り(外交)や相場を伝達する小僧の姿、職員の服装の変化など、制度上の変遷よりも、風俗的な小さな事象をとりあげている点が興味深い。それによって、当初は取引所に電話機が2台しかなかったとか、帳面記入が万年筆から鉛筆に代ったという、正規の取引所史では気づかないことを知ることができる。(原島)
史料群概要
画像有