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解説:西洋風の靴の着用、ましてその製造となると、当然ながら維新後のことと考えがちだが、すでに1861(文久元)年に横浜で外国人による靴製造が行われていた。開港による社会の激変を物語るものである。維新後は日本人も製靴業に従事するようになるが、その時代の靴製造はいうまでもなく手工製であった。日本で機械製靴を始めたのは1897(明治30)年2月という。ただ、これは試用段階であって、本格的な機械製靴の開始は1901(同34)年とされる。当時における最大の靴需要は軍隊にあったから、機械製靴の推進には軍部の意向と支援が強く作用した。1903~1904年の日露戦争は、この機運をさらに高め、それまでの大手製靴業者以外にも個人商店で機械を導入するものが現われた。『靴の発達と東京靴同業組合史』には″東京で相場達之助(巴屋)、小松録兵衛氏等が之である″と記している。本図には、発行者名や発行年月の記載を欠くが、図中の″トモエや″は上記の巴屋と同一の店と考えてよいと思う。本図は、自家商店の業務案内用のリーフレットとみられるが、靴の各部分を分業式に製造していくなかに、新規に購入した機械を写真図版入りで紹介している。(原島)
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