日本実業史博物館準備室旧蔵資料
37TA
01.絵画/02.教育
01.絵画
02.教育
東京名勝開化真景 虎門工学局
明治20
1887
絵師:竹葉 落款: 本名等:長谷川勘之助 版元:   
技法:錦絵 法量:353×247
数量:1 
37TA/00481
00690
解説:本図に記載されている出版年は明治20(1887)年2月であるが、この時点で虎の門工学局は存在しない。そこで、揃物としての題名になっている「東京名勝開花眞景」で検索すると、幸いにも本資料のNo.394に同名の揃物があって、様式が一致するので同一の揃物と認め得るが、こちらの出版年は明治10(1877)年5月となっている。これによって、本図は10年以前に版行したものを、刊記だけ変更して再版したものであり、そのために説明文が事実と齟齬する結果となったわけである。 改めて本図を説明すると、ここに描かれているのは1877年に東京虎の門に開設された工部大学校である(開校式は、全体の建設が完成した1878年4月に挙行)。同校は、1871(同4)年に工業の専門教育を実施するために、工部省内に設置された工学寮を起点とする。この時にも、場所は虎の門であった。それが、政府の内部組織の改正によって寮を廃して局と改めたのを契機に、内容を充実させて工学寮を工部大学校に発展させたのである。ただし、ここでも本図の説明文には誤りがあって、工部省には工学局はない。正しくは工作局とすべきで、同校は工作局の管理下にあった。直前までの工学寮の名称から、誤って工学局としたのであろうか。しかし、説明文に″工業に従事する諸芸術を教授し、海内の英才爰に雲集し、他日国家の富強をなすや言を俟たず″とあるのは、誇張でなく、後に多くの逸財がここから巣立っている。その後、1885(同18)年末に工部省が廃止されたため、所管が文部省に移り、更に翌年3月には東京帝国大学の工科大学に移行し、後の同大学工学部の前身となった。 なお、前述したNo.394との比較によって、本図では裁断されている出版人名が、荒川藤兵衛と推定される。逆に、No.394の説明文では″夢廼家誌″となっている筆者名を″夢の屋痴又″と特定することができる。(原島)
史料群概要
画像有