|
解説:掛図の形にして、上段に紙札を、下段に硬貨を図示している。上段の分には″日本紙幣沿革第壱図″とあるが、以後も続刊されたかは未確認である。下段の分は″日本貨幣古今集覧図″とあるものを、何故か2分割して横向きとし上下を逆転して貼合せてある。軸の端裏に″日本価幣原本恵比寿講用″と墨書があり、恐らくどこかの商家が恵比寿講用に紙幣と貨幣の2つの図版を合成して1軸にしたものと推定される。 上段には37種の紙札が、すべて表と裏を並べて右から左へ6段に配列してある。印刷は4枚に分割しているが、表題につけた朱書の洋数字は、上記の配列順に従っているから、現状のように貼合せることを前提として作成されたことは間違いない。日本における紙札の起源は近世初頭の伊勢羽書にあるとされるが、ここには近世中期以降、主に幕末から明治初年に発行された紙札を集めている。これらは、俗に藩札と呼ばれる大名家が発行した大名札であるが、近世にはこのほかにも旗本・宮家・寺社・宿場・町村・鉱山なども紙札を発行しており、商家が信用力を背景に発行した私人札もあった。 下段の硬貨には、和同開珍をはじめとする皇朝十二銭のうちの3種以後、永楽銭・私鋳銭の銭貨と、大判・小判や豆板などの金銀貨など132種が図示されている。和同開珍の前に、2個の穴あき無文字銭貨を図示しているが、これが官銭鋳造以前の私鋳銭貨であるかは俄に断定できない。中世末~近世初のいわゆる領国貨幣や、近世前期の各地方の鋳造貨も含まれている。下限は明治3(1870)年の円貨に及んでいる。(原島)
|