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解説:日本橋を往来する人々の姿を活写する。この日本橋は1873(明治6)年にかけられた木造の橋で、当初は中央の車道と両側の歩道の間が柵で仕切られていた。本図には1882(明治15)年に開通した鉄道馬車が右側に見えている。背後に第一国立銀行が見える。明治初期の東京では最大級の高層建築ということで、その高さを強調した図は多い。本図はなかでも極端な構図である。赤い霞を突き抜けて楼閣がそびえ立っている。だが実際には霞によって隠されている部分、つまり緑の欄干の下は2階分しかない。この図を真に受けるなら、建物は宙に浮いてなければならない。では、本当はどのように見えたのか。本図とほぼ同じ方角から写した写真が残っている(『明治・大正・昭和 東京写真大集成』新潮社2001年)。日本橋の向こう、第一国立銀行はその先端も見えない。写真はやや低い位置から見ていることと、当時の写真では遠景は白く飛んでしまうことを考慮に入れなければいけないが、少なくともはっきり大きく見えるということはなかったようである。 1885(明治18)年といえば、開化絵の流行はピークを過ぎ、石版画によるリアルな風景表現が浸透しつつある頃にあたる。探景(安治)のように遠近法を重視した開化風景を描いていたものもあるが、旧来の浮世絵師の作品にそのような例は少なく、本図のように誇張の度が増しているものさえある。開化絵がたどったマニエリスティックな展開をよく示すものといえる。政信は二代国貞門人。(田島)
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