日本実業史博物館準備室旧蔵資料
37TA
01.絵画/03.経済・金融
01.絵画
03.経済・金融
〔第一国立銀行雪景〕
絵師:清親 落款: 本名等: 版元:   
技法:錦絵 法量:232×351
数量:1 
37TA/00546
00826
解説:「東京名所図」と総称されるシリーズの一つ。1876(明治9)年より小林清親は、東京名所を題材に「光線画」と呼ばれる洋風版画の制作を始める。印刷技術は木版錦絵だが、遠近法、陰影法を取り入れ、従来の浮世絵とは全く異なる表現を生み出した。単に西洋風であるだけでなく、夕暮れ時や、夜景を多く描き、しみじみした情趣を醸し出すことに成功している。版元は初めは松木平吉、1879(明治12)年からは福田熊次郎となり、1881(明治14)年まで続いた。 本作品は題名が表示されておらず、「海運橋」「海運橋第一国立銀行」「海運橋(第一銀行雪中)」などと呼ばれている。刊年の記載もないが、一連のシリーズでは初期の、1876(明治9)年の作とされている。赤絵と呼ばれる派手な色調を特徴とした同時期の開化絵とは対照的に、茶色を基調とした渋い色調でまとめられている。 正面に描かれている建物は、1872(明治5)年6月に三井組によって海運橋のたもとに建てられたもので、初め三井為換座、三井組ハウスなどと呼ばれた。擬洋風建築の代表作で、設計・施工は清水喜助。二階建ての西洋風建築の上に唐破風・千鳥破風を備えた城郭風の上層を作り、その上さらに物見櫓風の高楼を突出させるという、実に独創的な様式で作られている。竣工後ほどなく、三井組から、新たに制度化された国立銀行に譲り渡され、1873(明治6)年8月、第一国立銀行として開業した。築地ホテル館、駿河町三井組ハウスと並ぶ、明治初期の巨大建築で、開化絵に最も多く描かれた建物だろう。 清親の描く第一国立銀行は、渋い色調でかつ雪に覆われているため、洋風の意匠はあまり目立たない。道行く人にも西洋風の風俗はうかがわれない。従来の物珍しさを強調した表現とは一線を画し、街の一部にとけ込んでいる。正面の女性がさす番傘に「岸田」「銀座」の文字が見えるのは、岸田吟香の広告とされている。吟香は東京日日新聞で活躍し、日本のジャーナリストの草分けとして知られるが、薬を商う経済人でもあった。その店「楽善堂」は銀座2丁目、東京日日新聞の隣にあり、目薬「精錡水」が主力商品であった。新聞を活用した広告や、タイアップ記事など、近代日本の広告史上画期的な試みを多く行った。(田島)
史料群概要
画像有