日本実業史博物館準備室旧蔵資料
37TA
01.絵画/07.産業
01.絵画
07.産業
東京勧業博覧会全図
明治40
1907
絵師: 落款: 本名等:嵯峨野平左衛門 版元:嵯峨野平左衛門  東京市神田区東松下町二十二番地 
技法:石版 法量:395×541
数量:1 
37TA/00578-001
00859
解説:1907(明治40)年3月20日に開場して、7月31日までの会期で(実際には8月25日まで延期した)開港した東京勧業博覧会の会場案内図である。発行は直前の2月24日付となっているが、本図の袋に″確実調査各館説明付″と謳っているように、ほぼ正確に同博覧会のすべての会場を図示した上、図の両脇の余白に各館の規模や内容などを記してある。 この博覧会のことを、資料によっては第六回と記しているが、それは1903(同36)年に同じ上野の地で開催された第五回内国勧業博覧会を受けてのことであって、東京勧業博覧会と同名の博覧会が、これ以前に5回開かれていたわけではない。たとえ、実質的には内容を引継いだとしても、名称を変更しながら回数だけ継続させるのは、いかにも無謀である。開催時期からすると、日露戦争後の社会不安が拡がるなかで、景気づけをねらって企画したものであろうか。開催の計画は1905(同38)年に始っており、翌年から準備にはいって開催にこぎつけている。 博覧会では、毎回、何かしら目玉となる話題性のある企画が求められるが、この博覧会では、その一つがウォーターシュートであった。図の不忍池の岸近くに″舟スベリ″と描かれているのがそれに当る。ただし、別の記録によると、精養軒の崖を利用して不忍池へ着水したというから、舟スベリの台の位置は実景と違っていたようである。驚くのはこの遊戯料(乗船料)が20銭もしたことである。博覧会の入場料が10銭で、さらに20銭を払わないと乗れなかったのである。もっとも、それを見物するだけでも5銭を徴収したというから、かなりの過大投資を必要としたのであろう。(『東京百年史』第三巻)。 このほかには、三号館の前に建設した観覧車が新登場の企画であった。高さは9mで、18台のゴンドラが空中を廻転するものだったという(『明治大正家庭史年表』)。また、室内の温水プールや、不忍池の弁天島から伸びる観月橋もこの時初めてお目見得したものであった。(原島)
史料群概要
画像有