日本実業史博物館準備室旧蔵資料
37TA
01.絵画/04.建築・土木
01.絵画
04.建築・土木
幕府御本丸棟上式之図
明治22
1889
絵師:玉英 落款: 本名等:小林銭次郎 版元:小林銭次郎  日本橋区通三丁目十三番地
技法:錦絵 法量:367×722
数量:3続 
37TA/00601
00917
解説:徳川幕府が崩壊して20年余を経た1889(明治22)年に作成された江戸城本丸の棟上式の図は、多分に想像上の作品である。右上の識語にもあるように、徳川家康が関東に入部した1590(天正18)年から丁度300年となるこの年に合せて企画された作品であろう。家康は、まず江戸の市街形成から着手し、本格的な城郭の建設を始めたのは1604(慶長9)年であった。建築の完成には数年を要したが、全容の完成は1636(寛永13)年とみられる。その後、江戸城の本丸は1657(明暦3)年、1844(弘化元)年、1859(安政6)年、1863(文久3)年の4度にわたり焼失しており、それぞれ1~2年で再建されているが、最後の文久3年の火災後は本丸を再建しないままで明治維新を迎えた(村井益男『江戸城』)。 本図に描かれた本丸上棟式が、第一次の慶長期の様子を再現したとは思えず、安政6年の焼失の後に翌7年にかけて再建された最後の本丸工事を参考にしたと考えられるが、それもどこまで真実の姿を伝えているかは、他の史料と比較考証を要する。通常の棟上儀礼では1本の棟木であるが、本図には5本の棟木を立てており、4本目と5本目の棟木を滑車を使って法被姿の人足が木遣りで押し立てている情況を描いている。棟木につけた御幣や扇、五色の吹流しは通例の祝儀物と共通するが、矢を十字に2本使っているのは異例である。矢の方角には、その年の歳徳、あるいはその建物の鬼門に向けるなどの慣例がある。豪華にみせるために2本にしたものか、調査が必要であろう。 いずれにしても、維新後20年を過ぎて、前代への懐古が復権し始めた風潮をうけたものといえるのであって、旧幕時代に関する記録類が、これ以後ふえているのと共通する動きといえよう。(原島)
史料群概要
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