日本実業史博物館準備室旧蔵資料
37TA
01.絵画/10.地理
01.絵画
10.地理
東都名所 霞ヵせき真景
安政1
1854
絵師:広重I 落款: 本名等: 版元:井桁に長 有田屋清右衛門  
技法:錦絵 法量:360×733
数量:3続 
37TA/00602
00918
解説:霞ヶ関は、現在では官庁街を含む広い地域をさし、正式の町名ともなっているが、江戸時代には町名でなく、俗称として使われていたに過ぎない。名称の起源は、往古の関所旧跡だと『江戸名所図会』巻三は伝えているが、確証はない。しかし、″霞の関″の別称を含めて、中世以降に歌枕として短歌に詠まれており、知名度はあった。 本図の版行より5年前の1849(嘉永2)年版『江戸切絵図』(永田町)には、本図の中央に描かれた坂に霞ヶ関の俗称を注記している。同図の記事によれば、本図の右は松平安芸守(浅野家)、左は松平美濃守(黒田家)の上屋敷であって、上記『名所図会』の記事とも一致する。同書の挿画もほぼ同じ構図であるが、視点が坂の左側にあるため、図中の坂は本図とは逆に左から右奥へ昇る形になっている。江戸の地図を現在の場所へ正確にあてはめるのはむつかしいが、簡略化していえば本図の前面の街路を右へ行けば桜田門、左は虎の門の交差点に通じると思えばよかろう。 広重は、最晩年の連作『名所江戸百景』にも霞ヶ関を加えているが、その図柄は本図とは天地を逆にして、坂の上から南の海を望見する構図となっている。なお、広重は1831(天保2)年に風景画への初挑戦となる横大判の『東都名所』(21枚)という揃物を発表した後も、類似の表題をもつ揃物を手がけており、本図が何枚の揃物の一部であるかは解明していない。(原島)
史料群概要
画像有