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解説:タイトルに「八景」とあるので、おそらく1枚に2景、4枚で1組として制作された物と見られる。上下と右辺に、社寺に掛けられる大絵馬の額縁が描かれているのは、版元の大橋堂が浅草寺の境内にあることと関係あるかも知れない。なお4代豊国は絵馬仕立ての趣向をこのシリーズ以外でも用いている。(「東京駿河町三井三階造図」3枚続、マスプロ電工美術館蔵) 上段に描かれる日本橋は、江戸時代は言うに及ばず、明治初期においても東京の街の中心として、開化絵の題材となってきた(No.81など参照)。1873(明治6)年、その日本橋の掛け替えが行われた。木造のままであったが、洋風の欄干を備え、橋を車道と歩道に区切っていた。これによって増加する人力車と馬車に対応した。本図は南西から北東方向を望んでいる。 下段に描かれている建物は、1872(明治5)年6月に三井組によって海運橋のたもとに建てられたもので、初め三井為換座、三井組ハウスなどと呼ばれた。擬洋風建築の代表作で、設計・施工は清水喜助。二階建ての西洋風建築の上に唐破風・千鳥破風を備えた城郭風の上層を作り、その上さらに物見櫓風の高楼を突出させるという、実に独創的な様式で作られている。竣工後ほどなく、三井組から、新たに制度化された国立銀行に譲り渡され、1873(明治6)年8月、第一国立銀行として開業した。築地ホテル館、駿河町三井組ハウスと並ぶ、明治初期の巨大建築で、この建物を主題にした開化絵は非常に多い。現在この場所には第一勧業銀行兜町支店があり、「銀行発祥の地」の碑がある。 発行年を示すものはないが、日本橋の掛け替えと、海運橋の建物が三井組から第一国立銀行となったのが共に1873(明治6)年であることから、このころの作と推定される。(田島)
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