日本実業史博物館準備室旧蔵資料
37TA
01.絵画/01.外交
01.絵画
01.外交
滑稽ポンチ絵 内地雑居寿語録
明治32
1899
絵師: 落款: 本名等:勝木吉勝 版元:勝木吉勝  東京市下谷区数寄屋町十五番地
技法:錦絵 法量:745×476
数量:1 
37TA/00616
00961
解説:幕末開港時の条約では、外国人は特定の地域(居留地)以外には居住できず、代りに日本の法律を適用されぬ領事裁判権を得ていた。明治政府は、外国からの要請もあって条約改正に動いたが、その際に問題化したのが内地雑居であった。内地雑居とは、居留地制度を廃して、外国人がどこでも自由に居住する、つまり日本人と雑居するという意味である。これに対して、それでは日本固有の文化・風俗が犯されるとする反対論が起り、明治20年代前半の国粋主義の風潮によって条約改正そのものに反対するようになり、議会で現行条約の励行を議決するに至った。しかし、条約改正の方向は変えられず、1894(明治27)年7月に日英通商航海条約の締結を契機として反対論も下火となり、1897(同30)年末までに諸外国との条約改正の調印が済んだ。1899(同32)年7月17日にそれらの条約が発効を迎えたのであった。 こうして発効した内地雑居の推進を啓蒙する活動にも力を入れたが、本図はそれを逆手にとった滑稽ポンチ絵の双六である。とりあげた職業は、力士、下女、芸者、新聞売、車夫で、そのほかに蕎麦屋での失敗、芸者との逃亡(かけおち)、芸者をあげての遊興などを描いている。遊興の図では、シャツの上に着たきものを肌ぬぎした外人が″雑居″と書いた扇子をもって三味線の伴奏で踊っている。雑居を風俗として捉えた場合の、最も連想しやすい情景だったのであろう。描かれた外人のなかに、中国人が多いのも、当時における在留外国人の比率を示すものである。それにしても、滑稽の題材でしかなかった外人の力士が100年の後に現実のものとなり、しかも幕内の上位に複数で存在することを予想した人は、恐らくいなかったであろう。(原島)
史料群概要
画像有