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解説:この役所は、1871(明治4)年7月、紙幣を印刷する部門として大蔵省に紙幣司が置かれ、同年8月紙幣寮と改称。1877(明治10)年1月、紙幣局と改称。以後いくどかの組織変更を経て、現在の財務省印刷局に至る。 1876(明治9)年に竣工したこの建物は、常磐橋の西、現在の大手町2丁目にあった。別名朝陽閣とも呼ばれ、2階建て赤煉瓦造りで、正面の上部には菊花の紋、てっぺんに高さ2メートルの鳳凰の像が置かれていた。1872(明治5)年に発行した紙幣に鳳凰の図が用いられて以来、鳳凰は印刷局のシンボルマークとなった。建物はその後関東大震災で消失した。『幕末明治の錦絵集成』によれば、設計は初めイギリス人のウォートルスがあたり、後にフランス人ボアンヴィルに代わったという。ウォートルスは銀座煉瓦街の設計で知られ、ボアンヴィルは工部大学校の設計などで知られる。 本図では、建物の左3分の1を画面からはみ出させることで、眼前に迫る建物の大きさを強調している。 なお、広重は本図の9日前に、もう一つ紙幣局の図を出している。No.522がそれで、同じく3枚組の画面に大きく建物をとらえている。細部はほとんど同一だが、左右を反転した構図にしたことで、印象が大きく変わっている。異なる版元から同時期に同じ題材で依頼を受けたとき、少ない手数で効果的に変化をつける、多忙な広重のテクニックを窺うことができる。左手の遠景に見える富士山も、北の方角を見ている本図の構図からは非常に無理があるのだが、No.522を反転させた際、空いてしまった空間を埋めるため、あえて入れたものかもしれない。(田島)
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