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解説:日本橋駿河町の越後屋(三越)と三井組の洋風建築を前景に日本橋の賑わいを描く。17世紀末からこの地で呉服店を営む越後屋は、1872(明治5)年、店章を井桁に三の字から丸に越の字に変更しているが、本図に描かれる暖簾では、まだ井桁を併用している。建物は黒漆のいわゆる土蔵造り。まだ木造家屋も多い中で、越後屋の重厚なたたずまいは目を引くものだった。 右手前から二軒目に見える三井組の洋館は、海運橋の建物が三井家から第一国立銀行に譲り渡される事が決まったのち、改めて設計され、1874(明治7)年に完成した。この年の5月から、「為換バンク、三井組」という看板を掲げ、9年より正式に私立銀行として営業を始めている。設計・施工は海運橋の建物同様、清水喜助だが、全体に和風の要素は抑えられ、建物の形自体はオーソドックスなものとなった。ただ屋根の上に1匹のしゃちほこが載る点が特異であった。1872(明治5)年に湯島の聖堂で開催された初の国家的博覧会において、出品物中最大の目玉が、名古屋城の金のシャチホコであったことは、よく知られている。商業施設にシャチホコを載せるという奇異な発想の背景にはこの展覧会の影響があろう。そしてこの建物が三井家の威信をかけてものであることがうかがわれる。なお、本図の改印が建物完成前の1873(明治6)年3月なのは、建築途中の姿を写したにしても早すぎる感がある。あるいは設計図によって描いたものか。 なお、タイトルに「国立銀行」とあるが、三井銀行は国立銀行の制度には則ってはいないので、誤りである。(田島)
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