日本実業史博物館準備室旧蔵資料
37TA
01.絵画/07.産業
01.絵画
07.産業
明治卅三年拾二月 合資会社九段勧業場各商店案内寿娯録
明治33
1900
絵師: 落款: 本名等:長谷川古耕 版元:   
技法: 法量:403×551
数量:1 
37TA/00651-001
01002
解説:勧業場は、一般には勧工場の名称で知られ、また勧商場とも称した。その起源は1878(明治11)年に皇居前の丸の内龍の口に府立第一勧工場が開場したのに始まる。前年に開催された第一回内国勧業博覧会の即売展示物を集めて、家庭用品を中心とした総合小売店であった。後に出現するデパートの前身と説明されることが多いが、一つの企業体としての小売業でなく、各商店がテナントとして出店する形式であった。市中では1軒ずつ商店を辿らなければならないのに、大きな店の中にまとまって並んでいたことと、適正な価格による正札販売が好感され、飲食施設もあったので、もの珍しさも手伝って客数も多かった。店内へは入口で履物を預けて竹の皮草履にはきかえるなどの不自由はあったが、繁昌が続いて、1887(同20)年には民営となり、市内各所に出店され、銀座一丁目の丸十、人形町大観音前などは有名だったという(『明治世相百話』)。その後も、東京の勧工場はふえつづけ、1902(同35)年には合計27軒となったが、数年で減少に転じ、明治末期からはデパートの開店にも影響を受けて急激に衰退した。 本図は、九段勧業場が案内を兼ねて版行した双六である。広告用あるいは案内用であるにも拘らず、外袋が保存されているのは珍しい。これによると美術館のスペースをもっていたようで、実用品販売だけでない付加価値を目ざしたものとみえる。42の店舗は、和洋の小間物店が7店と最も多く、筆墨、紙、印判などの文房具系がこれに続き、帽子店が2軒も出店しているのはこの時代における帽子需要が大きかったことを物語っている。(原島)
史料群概要
画像有