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解説:本図に続くNo.689およびNo.690と同形式をもつ、表題を上部に別紙で貼付する横判の石版画である。他の2図と同じく本図にも刊記はない。図は、新大橋の浜町側から隅田川の対岸になる清澄町のセメント工場を望む形になっている。新大橋は、千住大橋、両国橋に次いで1693(元禄6)年に架けられた古い橋で、1911(明治44)年に鉄橋に改修されるまでは、現在地より100mほど下流に架かっていた。本図は鉄橋ではないので、改修年代より前の情景であり、従って対岸との位置関係も、現状と違うことに注意したい。 セメント工場は、1874(同4)年に創設した官営の工場で、当時の表記によれば″摂綿篤製造所″であった。翌年には設備を一新して本格的なセメント国産が始動したが、経営は順調といかず、官営事業の民間払下げの一環として1884(同17)年に浅野総一郎に払下げた。本図の成立を、一般的な石版画の制作に合せて明治20年代と推定すれば、工場はすでに浅野セメントに代っていた時代となる。(原島)資料が入っていたと考えられる日本実業史博物館の封筒が共に収蔵されている。 (採寸情報)台紙の題字部分は含まず、原物の寸法のみ示した。(青木睦)
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