日本実業史博物館準備室旧蔵資料
37TA
01.絵画/07.産業
01.絵画
07.産業
第二回勧業博覧会一覧
明治14
1881
絵師:安治 落款: 本名等: 版元:松木兵吉版  両国吉川町二番地 
技法:錦絵 法量:230×337
数量:1 
37TA/00694
01061
解説:内国勧業博覧会は、明治政府が殖産興業政策の一環として開催した博覧会。1877(明治10)年に第1回の博覧会が行われ、以後、1881(明治14)年、1890(同23)年、1895(同28)年、1903(同36)年と5回行われた。万国博覧会の国内版というべき形式で、全国各地から出品された。内容は、鉱工業、農業、美術工芸など多岐にわたる。 本図は1881(明治14)年、上野公園で行われた第2回内国勧業博覧会の会場から、主な建物9棟を描いている。 中央の図は美術館。この建物は、御雇い外国人ジョサイア・コンドルにより設計された。1878(明治11)年に着工、同14年竣工。煉瓦造り2階建ての本格的な西洋建築であった。展覧会終了後は、博物館(東京国立博物館の前身)の本館として使用された。1923(大正12)年の関東大震災で半壊し、取り壊された。場所は現在の東京国立博物館本館とほぼ同じ位置。 上段中央は、美術館前庭に設けられた噴水。猩々が瓶を担ぐ独創的な意匠と、山の上で水を噴き出させる技術により博覧会の呼び物の一つとなった。以下、右回りに見ていく。 上段右は、第五本館で美術工芸の展示が行われた。この建物は第1回内国勧業博覧会の際に、美術館として建てられたもの。この手前に建てられたのが、コンドルによる第2回博覧会の美術館。博覧会終了後も、博物館の別館として使用された。 中段右の小堂は、あまり他の錦絵には描かれていないためわかりにくいが、近くに五角堂が見える位置関係から、美術館の裏手の池の近くにあった草蔓堂であろう。 その下は第一~第四本館の中央にあった時計台。下段中央は、博覧会場を正面入口手前から見たところ。第一本館、第二本館、時計台、そして一番奥に美術館の屋根が見える。 下段左は、西洋料理の精養軒が出した茶店。精養軒は1872(明治5)年、築地で創業し、1876(明治9)年上野公園の開設にともない支店として開店した。 中段左は、美術館の裏手にあった五角堂。この図ではわかりにくいが上から見ると星形をしていた。開拓史によって建設され、北海道の木材見本、写真が展示されていた。 上段左は美術館手前にあった門。博覧会場では中門として用いられたが、これはもともとこの地にあった寛永寺の本坊表門。寛永年間建立で、慶応4年の上野での戦いでも戦火を免れた。関東大震災後、博物館本館再建に際し、200メートルほど南東に移築され現存している。ちなみに現在の東京国立博物館正門の向かって左にある木造の門は、鳥取藩池田家の江戸上屋敷にあった門で、1953(昭和28)年にこの地に移築されたもの。(田島)
史料群概要
画像有