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解説:1881(明治14)年開催第2回内国勧業博覧会の会場風景。右奧に見える煉瓦の建物が美術館。この建物は、もともと博物館本館として計画され、御雇い外国人ジョサイア・コンドルにより設計された。1878(明治11)年に着工、煉瓦造り2階建ての本格的な西洋建築であった。1881(明治14)年に竣工し、その1階部分が、第2回内国勧業博覧会の美術館として使用された。場所は現在の東京国立博物館本館とほぼ同じ位置。前庭に築かれた噴水には図に見るように猩々の彫刻が施されていた。この意匠は特に人々の目を引いたようで、多くの錦絵で本館の建築以上に克明に描かれている。左奧に見える建物は、位置関係から見て機械館の一部か。左手前の茶店には「精養軒」の額が見える。現在も上野を中心に展開する西洋料理店の上野精養軒の出店だと思われる。精養軒は1872(明治5)年、築地で創業し、1876(明治9)年上野公園の開設にともない支店として開店した。博覧会は、会期122日で入場者82万人を集めた。 手前には官女の一行が描かれている。明治には天皇が頻繁に外に出て大衆の目に触れるようになる。この第2回内国勧業博覧会の開場式にも明治天皇が臨幸している。それに伴って官女の姿も見られるようになり、官女を描いた錦絵が流行する。1876(明治9)年頃から、明治10年代に特に多い。宮中養蚕など、皇居内部を舞台にしたものが多いため「御所絵」とも呼ばれる。本図の作者周延は、なかでもこの画題を得意とし、数多くの作例がある。(田島)
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