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解説:内国勧業博覧会は、明治政府が殖産興業政策の一環として開催した博覧会。1877(明治10)年に第1回の博覧会が行われ、以後、1881(明治14)年、1890(同23)年、1895(同28)年、1903(同36)年と5回行われた。万国博覧会の国内版というべき形式で、全国各地から出品された。内容は、鉱工業、農業、美術工芸など多岐にわたる。 本図は、1895(明治28)年4月1日から7月31日に京都で行われた第4回内国勧業博覧会を描いている。第3回までは東京での開催だったが、第4回で初めて関西にやってきた。近代京都の発展を強力に後押しする大イベントとなった。 当初平安遷都1100年にあたる1894(明治27)年に合わせて開催の予定だったが、シカゴ万博と重なるため一年後の1895年開催となった。博覧会場は現在の左京区岡崎公園一帯。その一番北には、博覧会のモニュメントとして、平安時代の大極殿を模した建物が建設され、これを拝殿とする平安神宮が創建された。 本図は会場の全景を俯瞰した図。下方の「疏水運河」と記された流れは、明治23年に竣工した琵琶湖疏水の一部。この流れを利用して日本初の水力発電が行われた。その電力によってこの年の2月、京都電気鉄道会社によって、京都駅-伏見間に日本最初の電車が開通した。その後博覧会の開会に合わせて市内に軌道が拡大された。本図でも疏水に沿って走る電車が見える。(田島)
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